チャックリー宮殿

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【タイ国葬の王宮とワットプラケオ③】荘厳な宮殿を写真で解説します

2017年10月26日、午前9時半に(日本時間は午前11時半)前プミポン国王のひつぎを乗せた金色の輿が王宮を出ました。

ひつぎは途中、金色の山車に移され、もう一度別の山車に移した後、王宮から1年かけて作られた火葬施設に運びました。この距離は約1.7キロ。

220人の兵士が金色の山車を引くのです。

プミポン国王火葬施設中央が火葬施設。その後ろが王宮

さて、前国王が安置されていた王宮とはいったいどんな所でしょう。

第三部をご覧ください。

写真で説明する「王宮&ワットプラケオ」シリーズ

第一部 【タイ国葬の王宮とワットプラケオ①】行き方から入場までを写真で説明します

第二部 【タイ国葬の王宮とワットプラケオ②】エメラルド寺院ってどんなとこ

第三部 【タイ国葬の王宮とワットプラケオ③】荘厳な宮殿を写真で解説します(この記事です)

 バンコクの王宮⑤ワットプラケオを出るとそこは宮殿街

の出口から出ると、そこには目の前に宮殿ストリートが!

王宮図面

 

バンコクの王宮街にあるポロマピマン宮殿

門があって中には入れないのですが、ポロマピマン宮殿にはラーマ6世、7世、8世と歴代の王様が暮らしておりました。

現在は、迎賓館などで使用

ポロマピマン宮殿

 

バンコク王宮街のアマリン・ヴィニチャイ宮殿(プラ・マハー・モンティエン建物群)

1785年にラーマ1世が建設したアマリン・ヴィニチャイ宮殿

正式な謁見の間となり国王誕生日や国の重要な儀式が行われてきた

パイサーン・タクスィン殿(アマリン・ヴィニチャイ宮殿の後方)には、タイ国の守護神、プラヤー・サイアム・テワーティラート神像が安置されている

アマリン・ヴィニチャイ宮殿左がアマリン・ヴィニチャイ宮殿で右はチャックリー宮殿

 

バンコク王宮街のチャックリー宮殿

チャックリー宮殿は、ラーマ5世(在位1868~1910年)がバンコク王朝百年祭に向けて完成させた建物

現在は、レセプションホール

中央の謁見の間で国王が各国大使の信任状を授与する際に接見したり、国賓の宴会を催したりする

チャックリー宮殿

チャックリー宮殿内の両側の壁には、以下のような過去の各国との外交の絵画が飾られているらしい

  • フォンテンブルーでタイ使節を接見する皇帝ナポレオン3世
  • フランス使節を接見するラーマ4世
  • ラーマ4世の使節がバッキンガム宮殿でヴィクトリア女王に拝謁しているところ
  • ベルサイユ宮殿でルイ14世に謁見するアユタヤ時代のナーラーイ王の使節団
  • ラーマ4世がヴィクトリア女王の特使、ボウリング卿を接見しているところ

バンコク王宮街のドゥシット宮殿

ラーマ1世が建てたというドゥシット宮殿

1790年に火事で損失したため、現在あるのはその後建て直したもの

十字型をしており、真ん中の尖塔が印象的

ラーマ1世の遺体を荼毘(だび)に付す前に、ここに安置されたことから歴代の国王や王妃、王族の遺体も同様に安置されている。

ラーマ9世こと前プミポン国王もここに安置された。

火葬式のスタートはここドゥシット宮殿から始まる

ドゥシット宮殿写真中央の建物がドゥシット宮殿

 

バンコク王宮の出口はピマンチャイシー門

ピマンチャイシー門

チャックリー宮殿の前にあるピマンチャイシー門から出る

ここから出るともう再入場はできない

王宮の出口門ピマンチャイシー門

最初に通ったチケット売り場の前を通って、最初に入ったウィセーチャシー門から外へ。

王宮外

再び白い壁の通りに出る

これで王宮&ワットプラケオの見学が終わるのです。

バンコクの王宮&ワットプラケオ【まとめ】

さて、三部にわたる王宮&ワットプラケオのご紹介はいかがでしたか?

タイのチャックリー王朝の荘厳なイメージが伝わったでしょうか?

みなさんも、バンコクにおいでの際にはこのノンカイナビの解説を見ながら王宮を散歩してみてくださいね。

ナビ助も、引き続き今回の盛大なプミポン国王の火葬式が終わった後、タイはどう変化していくの見守っていきたいと思います。

 

【実際のプミポン国王の火葬式の様子はコチラで

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